• Nobuaki Tanaka

言語のMixture in 18世紀

ご訪問いただきありがとうございます。

タイトルからしてふざけていると思われた方もいらっしゃるかもしれませんが笑、研究の中で見つけた、このタイトルと関わるお話を少しさせていただきたく思います。


私と同じく国際基督教大学で学んだ方はもちろん、そうでない方でも、日本語と英語を混ぜて話している会話を聞いたことがあると思います。だいたい、間投詞や感嘆表現が英語に置き換わっているものの、会話の骨格はどうやら日本語らしい... という感じのものです。逆のパターンも聞いたことがあります。


今現在、博士論文の研究と並行して、いくつかの文献の翻訳作業をしています。その作業の中で、1750年頃の出版であるにも関わらず、タイトルがラテン語の文献を見つけました。研究をしている感覚で言えば、音楽の分野では18世紀以降、特に1730年代を過ぎた頃から、ラテン語で書かれた文献は大幅に減っていき、ドイツ語圏において出版される場合の執筆言語は、そのほとんどがドイツ語に置き換えられていきます。


私自身も知らない書物だったので、正式な書名を調べてみたところ、ドイツ語とラテン語が混ざった、しかし本文の言語を始め、骨格はドイツ語で書かれた書物であることがわかりました。




Musicus theoretico-practicus,

bey welchem anzutreffen

I. Die demonstrativische theoria musica[.]

Auf ihre wahre Principia gebauet, von vielen arithmetischen Subtilitaeten befreyet,

hingegen die Abwechselung deren Harmonien, die daher entstehende Scalae, und die aus der Harmonie entspringende Melodie, nebst noch mehreren bißher unerörtert gebliebenen Wichtigkeiten vestgestellt [sic!=festgestellt] werden.


まず、これ全部がタイトルです。長い!

ラテン語(正確にいうと、語幹部分をラテン語から持ってきてドイツ語化して使用している場合がほとんどです)の部分はゴシック体で、ドイツ語の部分は亀甲文字(フラクトゥール)で記されているため、その差はわかりやすいです。日本語に訳してみると、


「理論的・実践的音楽家

〔となるために〕求められる

I. 詳細な音楽理論。

その真の原則に沿って打ち立てられ〔ている。〕算術的精緻さから解放され、

その代わりにその和声の変化、それゆえに成立する音階、

和声に起因する旋律や、これまでほとんど

論じられてこなかった重要な諸〔問題が、ここで〕確認される。


意味としては、概ねこんな感じということですが、日本語の感覚的には

「デモンストレーティヴなミュージック・セオリー。その真のプリンシプルに基づいて...」という風に続いていくわけで、「何でもかんでもカタカナにすればいいってわけじゃないだろ!」と、現代の日本語の文章を読みながらまま陥る感覚に、そのまま引きずり込まれてしまいます。


18世紀のドイツ語は、その脅威的な「進歩」を、読者に強く印象付けます。ラテン語からの借用がかなり少なくなるだけでなく、文法的にも今日のドイツ語と差異がほぼなくなり、特に私たち外国人が読む場合の苦労が、17世紀以前のそれと比べて、大幅に減ります。いま紹介した書物が発表されるおよそ100年前、ハインリヒ・シュッツが1651年に著した自伝のドイツ語を、少しご紹介したいと思います。





Ich mich, nach dem Ich meine Discantstimme verlohren, auff die Universite Marpurgk begeben, In willens meine, ausser der Music, anderweit zimlicher massen angefangene Studia daselbst fortzustellen, Eine gewisse Profession mir zu erwehlen, und dermahl eins einen Ehrlichen Gradum darinnen zu erlangen[.] (ソプラノの声を〔声変わりで〕失ったのち、私はマールブルク大学へと赴き、音楽以外にも、大きな〔熱意〕をもって始めた学業をつづけ、特定の職業〔につくことで〕身を安全にし、〔最後には〕学位を取ることを望んでいました。)


この文章は、私がまだ修士課程にいた頃、ゼミナールで教授の先導のもと読んだことがあるのですが、原稿全体に句点がついていないため、どこで区切るか、ドイツ人である先生でさえしばしば迷っている有様でした。そして、ドイツ語の文献を読んでいるはずなのに、一文を読み終わった後、先生が「ドイツ語では(どういう意味ですか)Auf Deutsch?」とおっしゃり、参加していた学生達で毎度、苦笑していたことを思い出します。なお、この原稿には現代のアルファベットに校訂された版が存在しており、図書館などでお読みになれます(Michael Heinemann (Hrsg.), Schriftstücke von Heinrich Schütz (=Schütz-Dokumente 1), Köln 2010, S.320-326)。


さて、ライプニッツなども渇望していたドイツ語の洗練が、18世紀に入り相当のレヴェルに達し、学術言語としても独り立ちをした状況の中で、先ほど紹介したようなラテン語とドイツ語が入り混ざった状態のタイトルが、当時のドイツ語母語話者にとって、クールなものでったか、気取った鼻につくものであったか、はたまた古臭いものであったかは、なんともわかりません。しかし、こうした言語を混合している様は、ICUで過ごした時代を私に思い起こさせましたので、こうして記事を書いてみるつもりになりました。


ドイツ語圏における知識人・文化人達が、総じてラテン語の影響から脱し、ドイツ語によって積極的な著作活動を行う方向を向いていたことは、間違いないでしょう。例えば、フリードリヒ2世の治世下(1740-1786)、ベルリン宮廷界隈で活動していたヨハン・フリードリヒ・アグリーコラ(1720-1774)やクリスチャン・ゴットフリード・クラウゼ(1719-1770)らの作品の中には、慣用的に用いられたラテン語ではなく、同時代の文人によってドイツ語に翻訳された詩編のテクストを用いて、作曲を行なっている例が見られます。


次回のブログポストでは、最近研究に関わった正二十面体を用いた新しい音階理論について、その提唱者とスカイプ対談(三者になるかもしれないので鼎談?)し、その概要を紹介する予定です!



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