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© Franz-Benda-Gesellschaft 2019

フランツ・ベンダ(1709-1786)

その生涯の軌跡

1. 幼少期 (1709年〜ca. 1720年)

・チェコのベナートキに11月22日、亜麻布織工の長男として生まれる。

​・幼少期より、父からオーボエ、シャルモー、ヴァイオリンなどを習う。

プラハへ(9歳)

・聖ニコライ教会(ベネディクト派)でソプラノ歌手として起用される。

・そのことを父や教師に相談せず、しばらくの間彼らから不興を買う。

・里帰りの際、彼らとビールを飲んでいるうち、いつの間にか和解が成立。

ドレスデンへ(10歳頃)

・イエズス会からその才能に目をつけられ、半ば拉致されるような形で

    ドレスデンへ。

・宮廷教会のソプラノ歌手として起用される。

・半年ほどたち、ホームシックに。

故郷へ帰る(12歳頃)

・ホームシックに耐え切れず、脱走。

・逃走中の寒さにより喉を痛め、歌手を解任される。

・ブランデーをぐいっと飲み干し、声をもとどおりに回復させる。

2. 少年期(ca. 1720年〜ca. 1725年

再びプラハへ(13歳頃)

・再び当地の教会で歌手として採用される。

・1723年7月、神聖ローマ皇帝カール6世の戴冠に係る祝典オペラ《コンスタンツァとフォルテッツァ》上演に参加。この時、クヴァンツ(フルート奏者、1697-1773)、ヴァイス(リュート奏者、1687-1750)などといった音楽家と親交を結ぶ。

ベンダ少年の恋(15歳頃)

・声変わりにより歌手を解任され、故郷へ。

・市長の娘に恋をする。手早く結婚するため、

    なり手の少なかったケーキ職人となって自立することを考える。

再び音楽の道へ(16歳〜18歳)

・ベンダの才能を見込んで、故郷を治めていた伯爵が音楽修行のために資金援助。

・プラハで教師についてヴァイオリンを本格的に学び、ヴィヴァルディの協奏曲などを筆写することで、レパートリーとする。

3. 青年期 (ca. 1725年〜1733

  東ヨーロッパへ(18歳〜22歳)

・ウィーンとシビウ(ルーマニア)に計2年ほど滞在。

 その間、カール・ヘック、ゲオルク・ツァールト、ヴァイドナーらと知り合う。

・ウィーンで雇い主であった「ルネヴィルのマルキー」のもとからヘックらと共に逃げ出し、

 以後1年ほど逃避行を続ける。

・1730年ごろ、ワルシャワ郊外の廃墟「カシミール宮殿」に一時的に腰を落ちつける。

・その後まもなく、郡知事ズハクツェヴィスキの宮廷楽団に、ヘックら仲間たちと共に採用される。

・カトリックからプロテスタントに改宗。これも1730年頃か。

再びドイツへ(22歳頃〜23歳)

・1732年、ポーランド王室宮廷楽団内にヴァイオリニストとしての地位内定を受ける。

・1733年2月、ポーランド王アウグスト2世(強王)の死去に伴ってドレスデンに赴く。

・ドレスデン滞在中に故郷を訪ね、両親をはじめ親戚らと久々に再会する。

 ベンダにとって、これが最後の故郷訪問となった。

・1733年4月、プロイセン皇太子フリードリヒの宮廷楽団内に、ヴァイオリニストとしての地位内定を受ける。

​ 当時宮廷のおかれたルピーンに赴き、直ちに職務を開始。

4. ルピーンとラインスベルクでの日々

  ・プロイセン皇太子 

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