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フランツ・ベンダの演奏様式

​-同時代人による証言-

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彼がヴァイオリンで奏でる音は、この楽器で聞くことが出来るもののうちで最も美しく、最も力強く、最も純粋で、そして最も快適なものの1つである。彼は急速さや高音域、そして他のあらゆるヴァイオンの難しさに対処できる考えられうる限りの技巧を有しており、それらを適切な時に、思慮深く用いることを知っている。しかしながら、彼の天性の素質が洗練され、そして最大の成功を示したのは、その高貴な(ここで私が「高貴な」と言うのは、艶がなくて映えず、面白みのない歌唱とは全く違うものだということだ)歌唱性においてである。

ヨハン・アダム・ヒラー、「プロイセン王室室内音楽家 フランツ・ベンダ氏の経歴」、『音楽に関する週刊の報告と初見』第23-26号(1766年)、175-178, 187-190,191-194及び199-202頁、うち199-200頁。

彼の〔演奏〕スタイルは本物のカンタービレで、人間の声で歌えないようなパッセージを彼の作品の中に見いだすことはほとんどない。彼はまた、とても人の心を打つ演奏者で、アダージョの演奏は悲愴感あふれるものであった。何人かの確かな専門家たちが私たちに保証したところによれば、彼はその演奏によって、彼らを涙させることがしばしばあったということだ... 彼の演奏様式は私の知る限り、タルティーニ、ソミス、ヴェラチーニといった人々のものでもなければ、どの楽派や流儀にも属していないものであった。それは彼独自の、すべての器楽奏者によって学ばれるべき、良き歌唱によって形作られていたものだった。

チャールズ・バーニー、『ドイツとオランダにおける音楽の現状』、ロンドン:1772年、128及び140頁。 

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他の多くの大家たち同様、彼は自身で自ら〔の演奏スタイル〕を確立した。彼がヴァイオリンで示した音は、銀の鈴の残響〔のよう〕であった。彼のアルペジオは新しく、強く、力に満ちていた。その〔演奏技法の〕適応は深く研究されており、彼の演奏は全くヴァイオリン本来の性質にふさわしいものであった。彼の演奏は空を飛ぶような、同時代の軽率な人々が求めたような性質のものではなかった。そうではなく、よりみずみずしく、奥行きがあって、徹底的なものであった。アダージョ〔の演奏〕で彼はほとんど最高潮に達した。彼は心から創造し、心に向かって話しかけた。ひとはベンダが演奏しているとき、泣いている人々を見ることが一度や二度ではなかった...〔中略〕いつまでも喝采が続くであろう、彼のような〔音楽性の〕基礎的な部分がこれほどまでに優雅さと結びついていたベルリンの音楽家は、他にいない。ロッリがベルリンにいた頃、ベンダは彼にあるアダージョを演奏して聴かせた。ベンダの手は既に非常に麻痺してしまっていたのだが、それは言葉で言い表し得ないように歌唱的で、ロッリはその流れるような〔演奏に〕うっとりして、叫んでこう言った。「ああ、私がこのようにアダージョを演奏できたなら!だが同時代人に気に入られるために、私は多分に道化でなければならない。」

クリスチャン・フリードリヒ・ダニエル・シューバルト、『音楽美学への理念』、ウィーン:1806年、95-96頁。

本物のベンダの演奏様式が、全くもって独自のものを持ち合わせていたのは、本当のことです。その主な性質はといえば、高貴さ、快適さ、そしてずばぬけて〔心を〕感動させるものでありました。その独自のものは、ベンダ的趣味でアダージョを演奏するために、多くの者が心がけ、〔実際に〕そうだと信じていた、弓を正しい長さと緩やかさで上下させることの中にのみ、あるのではありません。それによって、時にある一つの音が際立たせられるような、特別な強調〔表現〕。絵画における光と陰とも比較できる、常に目の前〔に浮かび上がるかのような〕音高に応じた強弱の取り扱い。歌手の〔歌唱可能な範囲を〕決して越えることがない、適切で気高く選択された装飾音。〔こうした事柄も、ベンダ的趣味でアダージョを演奏するためには欠かせないものでした〕。

ヨハン・フリードリヒ・ライヒャルト、『ある注意深い旅行者により音楽に関〔して報告された〕書簡集』、第1巻、フランクフルト/ライプツィヒ:1774年、160-161頁。

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